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津波防災の町
先ほどTVで「津波防災の町」田老町の映像を流していた。地震の前の映像では10mの高さの防波堤が二重に町を取り囲み、災害時の避難経路、避難訓練も行き届いた町、防災教育にも熱心な町として有名な町だったと紹介されていた。
「岩手県の太平洋沿岸に田老町(たろうちょう)という町がある。津波防災に関心ある者であれば、一度は行っておきたい町である。1897年(明治29年)5月15日の明治三陸津波と、1933年(昭和8年)3月3日の昭和三陸津波という、壊滅的な津波災害を二度も受けたが、住民の力で立ち直ったという奇跡の歴史を持つ町である。
町のシンボルである高さ10mの防浪堤(住民の力がこれを作ったのだ!)は、意外なほど風景に溶け込んでいた。それは、この防浪堤が単なる構造物としてではなく、防災文化としてこの町に根付いているからではないか。そんな風に感じた。
6月6日、田老町は宮古市と合併すると聞く。名前は変わろうとも「津波防災の町:田老」の名とその町民の偉業は、防災関係者の間では、長く語り継がれることであろう。」
この防災の町も今回の地震の未曾有の津波の前にはひとたまりもなかったという。
高い津波は10mもの高さの防波堤を乗り越えて町を飲み込んでしまった。
自然の力を侮ってはいけない。マニュアルを整備し、これくらいの準備があれば大丈夫だろう、などと高をくくっていると手ひどいしっぺ返しを食らう。
「想定外のことがおこった場合はどうするか」正確な情報に従った迅速な対応?
実際、多くのケースで、わずかな判断のずれが生死を分けたように思われる。
福島第一原発で起きている事態も「想定外」の地震と津波が原因であるかもしれないが、その本質は防災面での設計者の想像力の乏しさと自然に対する侮りが原因となっている人災と考える。
東京電力には嘘の無い情報の開示と政府には日本人の叡智を集めた判断をお願いしたい。
Posted by 2011/03/14